興味ある記事です。
旧石器時代の食生活を送れば健康になれるのか
加工食品の高カロリーに要注意
By
アン・ギボンズ
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2019.7.31
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旧石器時代の食事「パレオダイエット」が健康に良いと、米国で話題になっている。農耕の発祥以前から長く人類が食べてきた、狩猟採集で得られる食事こそ、人類に合った食事であるという考え方だ。
とはいえ、2050年には世界の人口が今より20億人増え、必要な食料もその分だけ多くなる。発展途上国で肉と乳製品の消費が伸びているが、もし誰もがそうしたものばかり食べるようになったら、穀物や野菜を食べる場合に比べて、地球の資源を多く消費することになるだろう。これから私たち人類が何を食べるかは、地球環境に大きな影響を及ぼす重要な問題なのである。
そこで今回は、人類と食の歴史や進化を追いつつ、私たちのこれからの食を考える。
「狩猟採集時代の食生活で“文明病”を予防」
かつて人類は、もっぱら狩猟と採集によって食料を得ていた。ところがおよそ1万年前に農耕が始まると、狩猟採集民が使える土地は狭まっていき、今ではアマゾンの森林やアフリカの草原地帯などに残るだけとなっている。狩猟採集民が消滅する前に、太古の食習慣と生活様式を知る手がかりをできるだけ集めておこうと、人類学者たちは精力的に調査を進めている。
南米ボリビアのチマネ族や北極圏のイヌイット、タンザニアのハッザ族といった狩猟採集民を調査してわかったのは、彼らが昔から高血圧や動脈硬化といった循環器系の病気になりにくかったという事実だ。「現代人の食事と、太古の人類が食べていたものは違うと、多くの学者が考えています」と、米アーカンソー大学の古人類学者ピーター・アンガーは話す。
食料探しに出かけるタンザニア・ハッザ族の女性ワンデと、夫のモコア。ワンデはナイフを棒に取り付けてイモ類を掘る。雨期の常食となる、大切な栄養源だ。モコアは、おのを使って木の幹から蜂の巣を取り出す。弓矢は狩りにも護身にも使う。(Photograph by Matthieu Paley/National Geographic)
人類はおよそ260万年前から農耕が始まる1万年前まで、野生の動植物を食べながら進化してきた。農作物を中心とした食生活に人体が適応するには、1万年では短すぎるのではないか――。米国では今、そんな考え方をもった人たちが、旧石器時代の食事に注目し、「パレオダイエット」や「原始人食」と呼ばれる食事法を実践している。
旧石器時代の食習慣は「人類の遺伝的な特質に合った唯一の理想的な食習慣である」と、米コロラド州立大学のローレン・コーデインはその著書『The Paleo Diet(パレオダイエット)』で述べている。
コーデインは世界各地に残る狩猟採集民の食習慣を調べ、彼らの73%が摂取カロリーの半分以上を肉からとっていると結論づけて、旧石器時代の食習慣にならった独自の食事法を提唱している。脂肪分の少ない肉と魚をたっぷり食べ、人類が調理と農耕を始めた後に食べるようになった乳製品や豆類、穀物は避けるというものだ。
狩猟採集時代のような食生活を送れば、心臓病や高血圧、糖尿病、がん、そして、にきびに至るまで、現代人を悩ます“文明病”を予防できると、コーデインらは主張する。
人類を特徴づけるのは肉食だけではない
なかなか魅力的な説だが、すべての人間が肉中心の食事に適応してきたと言いきれるだろうか。化石を調べる古人類学者も、現代の狩猟採集民を研究する人類学者も、ヒトの進化と食習慣の関係はもっと複雑だったと考えている。
たしかに、人類の祖先が大きな脳を獲得するうえで、肉食が決定的な役割を果たしたとする説がある。類人猿は低カロリーの植物を食べるが、人類の直系の祖先であるホモ・エレクトスは高カロリーの肉と骨髄を食べ始め、1回の食事で十分過ぎるほどのエネルギーを得られるようになり、その結果、脳が大型化したというものだ。
「狩猟はヒトへの進化に決定的な役割を果たし、肉食がヒトの特徴だと、ずっといわれてきました」と、ドイツにあるマックス・プランク進化人類学研究所の古人類学者アマンダ・ヘンリーは話す。「ただし、この説では事実の半分しか説明していません。狩猟採集民が肉を好むのは確かですが、実際に常食としていたのは、植物なんです」
ヘンリーは調査で、人間の歯の化石と石器から植物由来のでんぷんを検出した。そこから、人類は少なくとも10万年前からイモ類だけでなく穀物も食べていた可能性があると考えている。だとすれば、人間が穀物の食生活に適応する時間は十分にあったはずだ。
欧米の食習慣が病を生んでいる
これまでの研究で判明したのは、伝統的な食文化を持つ集団がそれを捨てて欧米の生活様式を取り入れると、問題が起きやすいことだ。
たとえば中米のマヤ人の場合、糖分の多い欧米式の食習慣が1950年代に入り込んだ後、糖尿病を患う人が激増した。シベリアのヤクート族は伝統的に肉を多く食べてきたが、かつては心臓病になる人はほとんどいなかった。しかし、ソ連崩壊後に定住が進み、店で買った食品を食べるようになった結果、今ではヤクート族の定住者のおよそ半数が肥満になり、ほぼ3分の1が高血圧だという。また、ボリビアのチマネ族でも、店で買った食品を食べている人のほうが、狩猟採集を続けている人よりも糖尿病になりやすい。
そして、多くの古人類学者は、「パレオダイエット」には懐疑的だ。加工食品を避けるのは良いにしても、肉中心の食事は、多様な食物をとっていた祖先の食習慣とは異なるし、太古の人々は日常の運動量が多かったおかげで心臓病や糖尿病にならなかったことも考慮されていない。
ギリシャ、クレタ島の伝統食ゼラニウムの葉のフライ(Photograph by Matthieu Paley/National Geographic)
「多くの古人類学者が指摘するのは、旧石器時代の食事といっても、いろいろあるということです」と、ウェナー・グレン人類学研究財団のレスリー・アイエロは言う。「人類の食習慣の歴史は、少なくとも200万年前までさかのぼります。その間には、多様な食文化が生まれたのではないでしょうか」。
言い換えれば、理想的な食習慣は一つではないということだ。人間を人間たらしめたのは肉食ではなく、多様な環境に適応できる能力であり、さまざまな食料を組み合わせて、健康的で多彩な食習慣を生み出したことだと、アイエロは考えている。残念ながら、現代の欧米の食習慣は健康に良いとは言い難い。
調理こそ「人類の歴史始まって以来の事態」
現代の食習慣ではなぜ病気になりやすいのか。ハーバード大学の霊長類学者リチャード・ランガムによると、人間の食生活に最大の革命をもたらしたのは肉食ではなく、調理を始めたことだという。
180万年前から40万年前までの間のある時点で、人類は調理することを覚え、そのおかげで子どもの生存率が高まった。食べ物を細かく砕き、火を使って調理すれば、消化しやすくなり、生で食べるよりも胃腸の負担が減って、余ったエネルギーを脳の活動に回せる。
「調理することで、高カロリーの軟らかい食品を食べられるようになったのです」
現代人は生の食べ物だけでは生きられない。人類は調理された食品に依存するように進化してきたのだと、ランガムは説明する。
魚を突きに潜ったバジャウの男が、タコを仕留めた。バジャウ族はキャッサバを除き、海の恵みだけを食べる。(Photograph by Matthieu Paley/National Geographic)
ランガムの説が正しいなら、初期の人類は調理を覚えて大きな脳を獲得できただけでなく、食べ物からより多くのカロリーを摂取できるようになり、体重が増えたと考えられる。現代ではこれが裏目に出ているようだ。食品の加工技術が高度になり、1日の摂取カロリーが消費カロリーを上回る人が増えた。これは人類の歴史始まって以来の事態だ。「素朴なパンが高カロリーのお菓子に、リンゴがアップルジュースに取って代わられた。高度に加工された食品はカロリーが高いことに、もっと注意を向ける必要がある」と、ランガムは書いている。
加工食品を多く食べることが、肥満や生活習慣病の増加につながっているというわけだ。地元産の野菜や果物をもっと食べ、少量の肉と魚、全粒の穀物をとり、1日1時間は運動すること。こうした習慣を多くの人が実践すれば、健康にも良いし、環境負荷も抑えられるだろう。
(写真=マチュー・パレイ)
※ナショナルジオグラフィック2014年9月号特集「食べ物と人類の進化」より抜粋
(この記事は日経ビジネスオンラインに、2014年8月28日に掲載したものを再編集して転載したものです。記事中の肩書きやデータは記事公開日当時のものです。)